ペットちゃんのご遺体、ご遺骨は飼い主様が自由にしてください。
法律の定めがありませんから、本当に自由でいいと思います。人は、「十人十色」です。人の数だけ考え方を持っていますし、良かれと思って「これが正しい」と押し付けてくる人もたくさんいます。それによって私たちは一喜一憂し、不安な気持ちにさせられてしまうことも少なくないと思います。色々な考え方があるのは当たり前のことで、本来、社会とは、「違った考え方を認め合って共存していくこと」を言います。ですから、ペットちゃんは、庭に埋めても、骨壺のまま自宅に安置しても、アクセサリーにして手元供養しても、お墓を用意しても、散骨してもかまいません。
ペットも人間もそうですが、私たちの肉体は地球からの借り物です。大地から授かった「土の器」という言葉がありますが、ある一定期間「使っていいよ」と授かった借り物です。仏教では、魂(心や意識)は輪廻転生するものですから、これらはずーっと自分のものですが、肉体は借り物であると考えることができます。お骨は肉体の一部ですから、いつかはお返しすべきものなのでしょう。
仏教では、49日でも100日でも1周期などの区切りがありますが、こんなものも一切関係ありません。地球の46億年という単位の途方もない単位の中では、どの誤差もあまり変わらないということになります。ですから、ペットちゃんの肉体の一部を手放したくないのであれば、将来自分が亡くなるときまでずーっと持っていればいいのだと思います。自分自身の肉体もいずれ大地にお返しするわけですから、その時が来たら、その時に一緒に還せばいいのではないでしょうか?そうすれば、亡くなった後もずーっと未来永劫その子と一緒にいることができます。
仏教では、魂とお骨は別に考えています。お経をあげないと成仏しないと言う人もいますが、死んだら、自動的に肉体と魂は離れるわけですから、あらゆる生きとし生けるものはどんな場合も成仏するものです。生前、飼い主に託されていたペットちゃんの肉体は、亡くなった後も飼い主に託されていることをぜひご理解ください。気持ちの区切りはきっと訪れるはずです。「もうそろそろかな?」と思える日が来たら、その時に考えればいいだけです。
ペットちゃんは、人間のようにあなたに考えを押し付けてくることはありませんでしたね。ただ、ありのままのあなたを愛してくれた愛しい家族だったはずです。強いきずなで結ばれ、互いに気持ちを分かりあっていた間柄ですから、亡くなった後も、きっとあなたの考え方を認めて受け入れてくれるはずです。あなた自身の考え方で、形ではない心を通じ合う弔い方をすれば、それが一番の供養になるはずです。
【葉山の谷戸へ山林散骨】
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