「日本の仏教は葬式仏教だ」と、諸外国の仏教界から揶揄されています。葬式仏教とは、本来の仏教の在り方から大きく隔たった、葬式の際にしか必要とされない現在の形骸化した日本の仏教の姿を揶揄した表現です。それでは、諸外国と比較すると何が違うのか、敬虔な仏教徒の国タイとの比較でその違いを明らかにしていきたいと思います。微笑みの国、タイは仏教の国。実に国民の約95%が仏教徒です。信教の自由は保障されていますから、他の宗教を信仰・・・
タイの仏教は、正確に言えば、日本の仏教とは異なります。「上座部仏教」と呼ばれ、お釈迦様が説いたそのままのカタチに近いと言われています。日本の仏教は中国、韓国、ベトナムなどの北方を経由して伝わった「大乗仏教」と言われるもので、タイの仏教はスリランカ、ビルマ、カンボジア、ラオス等の南方を経由して伝わった「上座部仏教」です。「大乗仏教」は、誰でも成仏できるように、誰でも悟りを開くことができようにとアレンジされていますが、「上座部仏教」では出家して悟りを開いた者だけが救われるということになっています。過去には、そういった器が小さいという意味合い・・・
果たして、仏教において「墓」とはどういったものなのでしょうか。「墓を大事にする」、「遺骨を大切に取り扱う」という考え方は、仏教伝来以前からエジプトやヨーロッパの遺跡からもうかがい知ることができます。こうした「遺骨信仰」の考え方は、世界中にあるようです。仏教の宗派によっては、お釈迦様の遺骨を納めているストゥーパ(仏舎利塔)を備えているかどうかによって、自分たちの寺院が本筋であることを主張し合うことによる論争も続いて・・・
永代供養や墓じまいが増えている昨今ですが、先祖代々の墓を閉じてしまうことに対して、仏教ではどのように考えるのか調べてみました。遺骨を大事にしないとどうなるのでしょうか?粗末に扱うとバチが当たるのでしょうか?結論からお伝えするなら、遺骨の扱い方については全く関係ないそうです。供養したからとか、読経したからとか・・・、そういったことは、本来の仏教の教えには全く関係ないということだそうです。墓じまいしてもかまわないし、納骨・・・
「死んだらどうなるか」という問いは、宗教によっても考え方に差があります。キリスト教、イスラム教、日本神道、唯物論、仏教の考え方を探っていきたいと思います。キリスト教では、私たちひとりひとりが生まれたのは神の意志によるものと考えられています。すべての人は神の意志によって作られたものであることは聖書に書かれています。キリスト教の世界観では、生まれた私たちが生きてやがて死にます。その後、土葬で埋められて、しばらくして・・・
仏教では、その教えが誕生した当初、仏像は存在していなかったことをご存じでしょうか?お釈迦様自身が偶像の崇拝を禁じていたことも知られています。なぜなら人間は、目に見えるものに執着してしまう傾向があるとの考えがあったからのようです。仏教の考え方では「執着=煩悩」であって、執着を捨てることこそが悟りに近づくための道であると考えていました。釈迦自身の偶像を作ってしまうと、目に見えない教えを守ることよりも、偶像をただ拝むだけに・・・
お釈迦さまの前世について少し触れてみたいと思います。多くの仏教典籍には、牛、象、鳥、昆虫などの生き物のエピソードが記されています。その中の『ジャータカ』には、牛にまつわる説話があります。昔、中インドのカーシ国の都バーラーナシー近くの村に一人の老婆が住んでいました。ある時、旅人がやってきて老婆の家に一晩泊めてもらったものの、お金の持ち合わせがなく、代わりに1頭の子牛を置いていきました。一人暮らしの老婆はこの牛をわが子の・・・
日本のお盆は、死者が戻ってくる仏教行事として知られていますが、世界的に死者が戻ってくるという考え方はとても珍しいものです。仏教国であれば「雨安居明けの儀式」はあります。でも、「雨安居明けの儀式」には、死者が戻ってくる日という意味はありません。テーラワーダ仏教の教義でも、先祖の霊が帰ってくるみたいな話は存在しません。日本のお盆は、中国の清明節の影響を受けていて、仏教伝来以前からある先祖崇拝儀礼と仏教儀式が混じり・・・
無宗教が多いとされている日本ですが『日本宗教観』で調査結果、先祖を敬う気持ちが94%と多くの人が祖先を大切にしていることがわかります。先祖がいなければ、今の自分たちが存在しないのは私たち誰しもが気づいていることです。死んだ先祖が、生きている子孫たちに影響を与えていることは紛れもない事実です。このような先祖崇拝は、世界中に多く存在しています。世界中の先祖崇拝というのは、アフリカ・マダガスカル・東アジアなどに広く存在して・・・
アニミズムという言葉を初めて提唱したのは、イギリスの文化人類学者であるエドワード・タイラー(1832-1917)。著書『原始文化』内で提唱した19世紀後半、「原初的宗教」の特徴をあらわすのに、「アニミズム」という言葉を使用しました。アニミズムとは、自然界すべての物に魂が宿るとされている「精神文化」のことです。太陽や月、風のほか、あらゆる現象、さらには学問や商売など、世のなかに存在するすべてのものに神が宿っているという考え方・・・
神道では神羅万象に神が宿るとされており、あらゆる事象に神が存在します。八百万の神々という言葉もあるように、自然の物には全て神が宿っていると考えられています。山などの自然も信仰の対象ですし、災いを神格化することもあります。権力を持っていた人物や恨みを残して亡くなった人を神として崇め、祟りを受けないようにした事例も多いようです。神道での死生観もそれに通じるものがあり、人は亡くなると子どもや孫など家庭を守る神のような存在・・・
普段の生活のなかで、「死」について考えることはどれくらいあるでしょうか?人間は死すべきものです。普段私たちはそのことを意識することなく生きています。私たちはみな死を迎える存在でありながら、健康で日々の生活に追われていると、その事実に意識が向かなくなってしまうことがあります。さしせまった状況に置かれるまでは考えたくないという思いも理解できます。しかし、それは生きていることの「真実」からの逃避ではないのでしょうか。・・・
葬儀は、何のために行うのでしょうか?一説によると、葬儀は、故人の魂に「亡くなった事を知らせる重要な役割」を持っているとも言われます。人が突然死をすると、亡くなっている事に気づかないことがあるようです。そういった場合は、自分の葬儀を見て「あれ、私死んでるの?」と亡くなったことを自覚することになります。成仏するには死を受け入れる必要がありますので、死んでいることに気づかなければ成仏できないと言えます。・・・
葬式や年忌法要などの儀式が、死人を幸せにするという考えは、世の常識になっているようです。お釈迦様の弟子がお釈迦様に質問したくだりがあります。「死人のまわりで有難い経文を唱えると善い所へ生まれ変わるというのは本当でしょうか?」釈迦は黙って小石を拾って、池に投げ、沈んでいった石を指さして言った。「あの池のまわりを、石よ浮かびあがれ、浮かびあがれ、と唱えながら回れば、石が浮いてくると思うか?石は自身の重さで沈んでいったので・・・
「亡くなった人を埋葬するためにお墓を建てること」は仏教の教えではありません。昔から仏教ではお墓を建てることを義務付けることなどしていません。それは今も昔も同じです。多くの人が勘違いをしているのかもしれません。お墓を建てて供養するという文化は、日本に古くからある先祖信仰と仏教が習合した習慣でしかありません。現在のように一般の人がお墓を建てるようになったのは檀家制度が幕府によって進められた江戸時代の中頃にになってから・・・
核家族化が進む現代社会の潮流に逆らって、自分の家系をつないでいこう、家を守って一族を発展させようという考え方なら、今までのお墓のスタイルを維持することが望ましいようです。自分の一族を発展させて、他の一族はどうでもよいという考え方なら、お墓はどこの一族よりも立派なものを作るべきでしょう。お墓は権威の象徴です。誰よりも立派な墓を建立して、権威の象徴を打ち立てましょう。墓じまいが進んでいる現代に、価格の下がった今こそ、土地の。・・・
今、「僧侶は不要だ!」という声が強まっているようです。昔から日本では、僧侶は「坊主丸儲け」「生臭坊主」などと揶揄されてきましたが、特にここ最近になって、かつてないほど僧侶不要論が高まっているようです。仏教は、もともと教えを広めて人々を苦しみから開放する役割を担ってきたはずですが、日本では、江戸幕府の政策によって、檀家制度が設けられたことで、何にも努力しなくても、僧侶になれば、飯が食えたことに原因があるようです。・・・
高野山真言宗では、1泊2日の研修があります。法衣は別にして、費用は35万円です。別の寺院では、半日研修=15万円というのもあります。割と簡単になれるものなのですね・・・さらに、教師資格は100日間の研修代が40万円のようです。(2024年現在)教師資格があれば葬儀等の儀式が行なえるようになるようです。・・・
故人を身近に感じ、想いを語りかけ、手を合わせて祈りたい。遺された家族の離れがたい気持ちを形にするものが手元供養です。お骨を入れて身に着けることができる「遺骨ペンダント」」や、分骨して手元に置くことができる「ミニ骨壷」。自分だけの供養のスペースをつくる「ミニ仏壇」など。それぞれの方にあった形で供養ができるのが、手元供養の特徴です。住環境や家族構成の変化、お墓を持たないという選択が増えていることから、手元供養は広がりつつ・・・
死後の世界がどんなものかという論議はさておき、「死後の世界がある」ということだけはどんな宗教、どんな宗派でも共通して認めていることです。大乗仏教も上座部仏教も神道もキリスト教もイスラム教ヒンドゥー教も含めて、あらゆる宗教が共通に「死後の世界はある」と伝えています。「死後の世界など存在しない」と考えている人たちを「唯物論者」と言います。唯物論では、「何も無いところから突然私がポンと現れ、しばらく生きたあとに私は・・・
成仏は、仏教の考え方です。仏教において霊魂は不滅ですが、何万回も輪廻転生を繰り返すことになるので、一度成仏すれば終わりということにはなりません。仏教では、49日間の猶予の中で、「この世への未練を断ち切る」ことさえできれば、成仏できます。たったそれだけのことなのですが、成仏をしないとこの世とあの世を永遠にさまよい続けることになります。どうも49日間の中で成仏する決心をしないといけないようです。チャンスは一度きりだそうで・・・
人が何度も生死を繰り返し、新しい生命に生まれ変わることを輪廻転生といいます。仏教では、輪廻転生があるとされています。輪廻転生は、仏教の経典の中に登場する概念です。パーリ語の経典においても、大乗仏教の経典においても輪廻転生は書かれています。輪廻転生の信仰は古代からあって、仏教以前のヒンズー教、シク教、ジャイナ教など、インドの宗教の教えの中心とされてきました。現代多くの不信者達やニューエイジの人々やスピリティズムを信じている人々も輪廻転生・・・
亡くなってから四十九日目を「四十九日(しじゅうくにち)」と呼びます。ただし、四十九日喪に服すという考え方は大乗仏教以外には存在しません。四十九日は大乗仏教特有の考え方です。南伝仏教(上座部仏教)にはこの考えはありません。大乗仏教では、亡くなった方はあの世に行くと初七日から七日ごとに生前の行いを裁く審判を受け、最後の四十九日目の審判で行き先(極楽浄土に行けるかどうか)が決まるとされています。49日が経過した後、その魂は極楽浄土・・・
死者があの世へ行くときに渡る川が「三途の川」です。こうした川の存在は、仏教特有の考え方ではありません。ジヤイナ教やヒンドゥー教にもあり、カトリックにも煉獄と言う、三途の川に似た概念があります。多くの仏教の宗派では、人は死後7日目に三途の川を渡るとされています。三途の川があるのは、此岸(現世)と彼岸(あの世)の境界です。あの世では、四十九日まで7日間ごとに死者の魂の行き先を決める審判がおこなわれ、十王と呼ばれる十人の王に・・・
仏教では、死とは、岸辺に打ち上げられた波が深くて広くて果てしない大海に帰っていくように、静かな本来の世界に帰っていくことであると捉えています。天台宗や日蓮宗などの宗派では、「六道輪廻」という概念があります。「地獄・餓鬼・畜生・修羅・人・天」の六つを六道といい、人はそれを繰り返しているとされています。六道輪廻しかできない人に解脱(悟りを開くこと)を教え、佛にもなる方法を与えるのが仏教で、その解脱の修行法が仏教宗派によって違う・・・
キリスト教では死に対する考え方が他の宗教とは違います。 死は「召天」といい、主(神)のもとに召され、最後の審判を受け、復活の日まで天国で過ごすという意味があります。ほぼすべてのキリスト教徒は、「魂は人間の不滅の本質であり、魂は死後に報酬か懲罰を受けると信じています。死後の賞罰は、善行あるいは主なる神とイエスへの信仰によって左右されますが、この基準に対して、現在においてもキリスト教徒の各宗派間で激しい論争が行われています。・・・
神道では、神と同様に、霊魂は永遠に残ると信じられています。神社庁は、「霊魂はその働きによって存在を信じられて来たのであって、実体的に捉らえられるものではない」との見解を述べています。古事記・日本書紀・万葉集などには死後についての記述があって、神社庁は、これらの死後についての内容を否定していません。死後の世界は、天国のような理想的な場所でも、地獄のような苦しい場所などではなく、現実の世界と全く変わりがない。しかも神道では、神や祖霊は・・・
【葉山の谷戸へ山林散骨】
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