樹木葬や散骨など、近年、新らしい供養の方法が登場してきました。供養とはもともと仏教用語ですが、日本では多くの場合、死者に対して祈りを捧げることを供養と認識しています。しかし、現在一般的に行われている日本の供養の形は、文化的な要素と宗教的な要素が絡み合ってできたものです。お盆やお彼岸にお墓参りをすると故人の存在を感じるというのは、自然を崇拝するアニミズムや仏教、儒教の考え方です。キリスト教やユダヤ教は一神教ですから、神だけが唯一の祈りの対象となります。亡くなった人は、死後静かに眠り、最後の審判のときに振り分けられて天国か地獄に行くという考え方をしています。ですから、お墓に死者の魂などなく、死者を弔い続ける行為は偶像崇拝とみなされてしまいます。ただそれは、死者に対する気持ちが薄いということではなく、根本的な感じ方が信じる宗教によって違うということでしかありません。
お墓を残さないという文化もあります。サウジアラビアなどのイスラム教の国は土葬が中心ですが、墓標を置かない場合も多くあります。モンゴルでは風葬が一般的です。草原に遺体を置いておくと動物たちが食べていつかは無くなります。
日本では遺骨をお墓に納める場合が大半ですが、世界的にみると、火葬して灰になった遺骨は自然に還すのが主流です。インドでも遺灰はガンジス川に流して、大自然の循環の中に還すことで輪廻転生をしてまた何か別のものに代わっていくことを祈ります。
今、さまざまな供養の形が生まれていますが、世界中の各地域に根付いてい文化や習慣が融合して、多様化しているということです。形式にこだわるよりも気持ちが一番大切で、自分なりの弔い方で弔うという考え方が増えてきています。キリスト教が中心の欧米諸国においても、イエスキリスト像を祀ることよりも、亡くなった家族の写真を飾ることが増えてきました。宗教の枠を超えて、自然に亡くなった人を偲ぶという純粋な気持ちの現れといえます。このように特定の宗教や地域の風習の枠を超えて、伝統的な文化そのものの意味を捉えなおしていく時代になりました。
【葉山の谷戸へ山林散骨】
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