「散骨」は、新しい供養方法と思われがちですが、実は、その歴史は日本の奈良時代にまで遡ります。「山に遺骨を撒く」という葬送方法は、まさに「死んだら土に還る」の言葉通りに、自然に還る最もシンプルな方法であって、むしろ現代のようにお墓に埋葬するというやり方のほうが新しいものであったのです。
「散骨」は、仏教が生まれたインドが発祥地といわれ、実は昔から行われてきた供養方法なのです。インドから仏教の伝来と共に日本に上陸しました。散骨は、既に奈良時代には庶民の間で行われていたことがわかっています。散骨は、一般庶民の間に広まっていた葬送方法で、当時の権力者たちは、権力を誇示するために遺跡のような山稜を作ることが行われていました。しかし、平安時代には淳和天皇が山に散骨された事実も記録に残っています。万葉集にも散骨についての悲しみの歌がいくつも詠まれています。(⇒リンク)
「火葬」も「散骨」と同時に伝来しました。大量の燃料を要するため、一般の民衆まで火葬が取り入れられることはなかったようですが、古くは飛鳥時代の持統天皇が火葬され、奈良時代初頭まで仏教の影響で火葬が続いたようです。特に、お釈迦様が火葬されたことに由来して、注目されるようになったといわれています。
その後、儒教の教えに基づいた「土葬」が主流の時代がありました。そしてまた、明治時代になって大都市を中心に火葬が実施されるようになります。人口増加時代の土地不足によるものでしょう。戦後、公衆衛生上、人口増加に伴い火葬が奨励され火葬場の整備も進み、急速に「火葬」が広まったといわれています。
そして、今再び「散骨」が注目されるようになりました。人間は自然に還るべきという考えのもとに、自然葬が世界的に増えている現実があります。
【葉山の谷戸へ山林散骨】
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