弥生時代は、大陸から渡来人が日本列島に移り住み、定住するようになった時代です。弥生時代には、木でできた棺に人を葬る習慣が朝鮮半島から伝わり、遺体を木の棺に納める墓(木棺墓)が現れるようになります。屈葬は見られなくなり、身体を伸ばして埋葬する伸展葬が行われるようになります。
弥生時代には、大陸から違った文化が流入し、稲作も盛んになったことから、土地の奪い合いも同時に多発するようになったと考えられています。縄文時代のように、人々が横の関係でつながって協力する平和な時代から、争いによって相手を打ち負かす文化が中心の時代です。
争いが絶えなかった時代には、いつ敵に責められるかわからないという精神状態の中で日々を送ることになります。縄文式土器に比べて弥生式土器が質素で簡素な作りであったことや、弥生時代は縄文時代に比べて質素な服を着ていたこと、装飾品も多く出土されなくなったことなどから、稲作が盛んになったとはいえ、経済は潤ったとしても平和的な日々の豊かさは減少し、精神的な困窮が強いられた辛い時代であったようです。
勝つことで力を鼓舞するという考え方は、お墓のあり方にも影響を与えます。墳長20メートル以上の大型墓が出現したり、 斜面や裾の部分に石を並べ、四隅が突出した形の墳丘墓が出現するのもこの弥生時代です。こうして徐々に、墳墓が力の象徴としての意味を持つようになっていきます。
弥生墳丘墓は畿内に多く見られます。2024年現在においてもDNA研究から、関西、四国、中国地方に、弥生時代の渡来人のDNAが色濃く残っていることがわかっています。縄文人のDNAを引き継いでいるエリアは沖縄が圧倒的に多いですが、関東、中部、東北、北海道などは、どちらかと言えば縄文人のDNAが優勢のようです。こうしたDNAによる分析を見れば、県民性の違いもなんとなく納得できてしまうものです。
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