「日本の仏教は葬式仏教だ」と、諸外国の仏教界から揶揄されています。葬式仏教とは、本来の仏教の在り方から大きく隔たった、葬式の際にしか必要とされない現在の形骸化した日本の仏教の姿を揶揄した表現です。それでは、諸外国と比較すると何が違うのか、敬虔な仏教徒の国タイとの比較でその違いを明らかにしていきたいと思います。
微笑みの国、タイは仏教の国。実に国民の約95%が仏教徒です。信教の自由は保障されていますから、他の宗教を信仰する人もいますが、「国王は仏教徒でなければならない」と憲法に定められているほど、仏教が社会の基礎を形作っています。男性は、一生に一度は僧侶にならなければならないという習慣もあり、短期の1週間でもいいから、僧侶になっておくという場合がほとんどです。ちなみに、この短期出家は、一部の寺院でタイ語のわからない日本人でも受け入れてくれます。お金はかかりますので、滞在型リトリートツアーのような感覚です。
タイにはおよそ3万もの仏教寺院があると言われています。寺院は人々の信仰の場であると共に、特に地方においてはコミュニティーの中心としての側面があります。社交場としての機能だけでなく、学校や市場が併設されていることも多いようです。
タイの人々にとって寺院は深く生活に根ざした場所です。日々の喜びを共有し感謝する場、教養を与えてくれる場所でもあり、悲しみを癒し、明日からの活力を与えてくれる場でもあります。バンコクなどの大都市ではライフスタイルの変化から若者の寺院離れが起きているとされますが、社会全体としてはまだまだ寺院の持つ影響力が大きく残っています。
生活に仏教が深く根付いているタイでは、日常の多くの場面で僧侶を呼ぶ儀式が執り行われます。個人の冠婚葬祭、あるいは店舗や工場のオープニング、建前、地鎮祭のようなものが一般的ですが、企業や商店などでトラブルが重なった際や年末等の節目等にも、僧侶を呼び「タンブン」と呼ばれる喜捨(布施)の儀式を行うといったこともあるようです。
またタイでは、一般の人々と僧侶は、いわゆる共存のような関係にあります。輪廻転生を信ずるタイ仏教においては、民衆は徳を積まなければ良い来世を迎えることは出来ません。人々は徳を積むため、僧侶に対してそれぞれ身の丈に応じた喜捨を行います。僧侶はその喜捨を基に修行生活を続けることが出来るという、相互扶助の関係が作られています。タイの僧侶の数は30万人とも言われていますから、いかに僧侶が生活に溶け込んだ存在かが分かります。
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