葬儀は、何のために行うのでしょうか?一説によると、葬儀は、故人の魂に「亡くなった事を知らせる重要な役割」を持っているとも言われます。人が突然死をすると、亡くなっている事に気づかないことがあるようです。そういった場合は、自分の葬儀を見て「あれ、私死んでるの?」と亡くなったことを自覚することになります。成仏するには死を受け入れる必要がありますので、死んでいることに気づかなければ成仏できないと言えます。
浄土真宗の僧侶は、「一族が顔を合わせて縁をつなぐため」とも言っていました。ですから「葬儀をしなければ成仏できない」という事ではありません。故人が成仏できるかどうかは、あくまで本人の気持ち次第ということになります。仮に、故人が生前に立派な葬式をあげてほしいと思っていたのに、遺族が葬式をあげなかったというのであれば、故人はこの世にやり残した未練を残してしまうことになります。そうなると、故人はそれが気がかりでなかなか成仏できないということにもなってしまいます。そういった場合には、葬儀は行なった方がいいかもしれません。
逆に、葬儀なんかいらないと故人が思っていたのに、遺族が頑張って葬儀をあげてしまうことで、故人は「どうして自分の気持ちをわかってくれないのか・・・」という思いになってしまって、成仏しにくくなってしまう可能性もあります。遺族は、故人の気持ちを理解してあげる必要があります。余計な費用をかける必要がないという気遣いで言っていたのかもしれませんし、自分の葬式に特定の誰かにどうしても来てほしくないという理由なのかもしれません。
葬儀を執り行わないことで、稀に頭の硬い親戚から苦情をもらう可能性もあります。故人をきちんと弔わないことに対する気持ちでしょう。ただ、弔い方は多岐にわたっていること、形式的な葬儀を執り行うことだけが弔いではないこと、葬儀を行わないことが故人の遺志であったこと、自分たちなりの弔い方を行う予定があることなどをきちんと話せばわかってくれるものでしょう。
亡くなった人に「亡くなった事を知らせる役割」として考えるなら、野山に散骨をするタイミングで、気持ちを込めて弔いの儀を執り行う方法もあります。費用のこと、故人の遺志などを総合的に考えて対応するのがいいと思います。
【葉山の谷戸へ山林散骨】
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