故人に対して私たちができる唯一のことは、心からの「供養」です。「供養」とは、故人の幸せを願うことであって、立派な葬儀を執り行うことではありません。葬祭業者にまかせて高いお金を支払うことが「供養」であるとは限りません。付け加えますが、寺のお布施を喜ぶのは寺の住職であってお釈迦様や阿弥陀如来ではありません。同じように、神社のお賽銭も、神さまがお賽銭で喜ぶわけではありません。お賽銭がたくさん集まって喜ぶのは神主さんです。つまり、「供養」とは、愛を伝えることです。心で強く思えば、きっと愛は伝わります。「死人にそんな気持ちが伝わるのか?」という声もありますが、生きているからとか、死んでいるからということは関係ありません。生身の私たちも他人に対しての心は駄々洩れになっているものです。故人の声を思い出したり、笑顔を思い出したり、記憶にある場面を思い出したりすることで、肉体はなくなっていても気持ちは届くものです。「悲しいよ!悲しいよ!」と取り乱したままの気持ちを伝えてしまうと、故人もきっと、「肉体がなにのだからどうすることもできないよ・・」と困ってしまうことになってしまいます。辛い、悲しいという気持ちよりも、出会えたことに対する感謝や頑張ったことに対するねぎらいの気持ちを伝えるようにするといいでしょう。
【葉山の谷戸へ山林散骨】
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