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★チャプター05:スピリチュアルの視点から見た散骨

 
風の時代のお墓のあり方
 
 
 
風の時代のお墓のあり方
 

19世紀から200年以上続いた「土の時代」が終わりを告げ、2020年から「風の時代」がスタートしました。占星術に興味のない方でもすっかりお馴染みのキーワードとなった「風の時代」という言葉ですが、「風の時代」は2020年12月22日から本格的に始まったと言われています。200年周期で大きなパラダイムシフトが起こる「風の時代」とはいったいどういうものなのでしょう。

「土の時代」とは、地面のように、土台となる安定性、現実性、物質的なものが重視されてきた時代です。一方「風の時代」は流れていくもの、モノに縛られない、型にはまらないものが重視されるようになります。「土の時代」には、お金、物質、地位、結婚など、ひとりひとりが「目に見える形で豊かになること」を望んだ時代でした。その一方で、「風の時代」には、物質的に所有する価値観から、ひとりひとりが自分なりの価値観でものごとを判断する時代になると言われています。世の中の風潮もそれに伴って変化します。金持ち、土地持ち、学歴持ち、会社持ちなどの成功者を社会が崇めていた時代から、変化していきます。風の時代には、モノに縛られず、型にはまらず、目に見えないものへの価値を社会全体が認めるような時代になります。まさにこれから、風のように柔軟で軽やかな生き方や価値観が当たり前になる社会が訪れようとしています。

この考え方は、「西洋占星術」によるもので、西洋占星術では、12星座を4つに分けたエレメントのことを指していて、「火」「土」「風」「水」の4種類の元素によって、社会全体が異なる価値観の上に成り立つと考えられています。「西洋占星術」では、200年サイクルで「水」⇒「火」⇒「土」⇒「風」という流れで時代は回っていくとされています。

「土の時代」の始まりは今から220年前ごろです。「火の時代」から「土の時代」へと変わった18世紀末の転換期には、産業革命が起こりました。武力が支配していた時代が終わり、経済力そのものが世を動かす資本主義の時代へと移りました。社会的価値観に大きな変化があったことは紛れもない事実です。

占星術では「土の時代」のほかに「火の時代」「水の時代」「風の時代」がありますので、ひとつひとつ見ていきましょう。

「火の時代」とは争いの時代のこと。ヨーロッパの中世には、貴族や王・皇帝など一部の人々が大きな権力をふるっていました。「火の時代」には、一部の強大な力が多くを支配する時代でした。同時に芸術が盛んになった時代であるとも言えます。古典音楽として現存しているクラシックなどの音楽は「火の時代」に生まれました。建築ではバロック様式が有名ですが、建築そのものだけではなく、彫刻や絵画を含めた様々な芸術活動が生活のいたるところに取り入れられた時代です。美しさこそが社会的な規範のひとつであったことが伺い知れます。バロック様式は、権力や富を象徴する様式であったとも言われます。これに対し、ロココ様式は、個人の趣味や好みを重視した様式として知られます。バロック様式もロココ様式も、ヨーロッパ美術史に大きな影響を与えた事が知られています。このように、「火の時代」には、情熱や直感、想像力が花開き、それらのエネルギーがが社会に強く影響を及ぼします。安定した平和な時代が多く、戦いや争いにエネルギーを使うことがなかった場合には、その有り余る情熱やパワーは芸術や創造力へと向かうことができたと考えられています。

日本では、平安時代と江戸時代が「火の時代」に当たります。平安時代は今からおよそ1200年前です。それは、宮廷文化が大いに花開き、絵画や和歌など様々な日本文化の基礎が築かれた時代です。大きな戦乱もなく、とても平和で安定した時代です。それから200年が経過すると、「火の時代」が終焉を迎え、「水の時代」を迎えます。

今から400年前は日本では江戸時代です。戦国の世が終わりを告げ、平和で文化が花開いた時代です。人々は支配者に反抗するのではなく、そのパワーを芸術や文化に注ぎました。浮世絵、浄瑠璃、歌舞伎など、たくさんの文化が生まれた時代です。同時に、「火の時代」には、火山が噴火したという記録もあります。次に火の時代が来るのは、今から約400年後。西暦2500年頃に当たります。

「水の時代」の特徴は、「破壊と創造」です。200年間続く「水の時代」は、欧米では大航海時代。ヨーロッパ人は新大陸を求めて海を渡り、新たな土地を見つけて植民地にして、現地の民族・慣習・文化との融合が進んでいきました。聖書が爆発的大ヒットを飛ばしたのもこの時代です。聖書は、1815年~1998年の間に3880億も印刷され世界中に聖書が広まりました。キリスト教の広がりとともに宗教・哲学が人々の中に浸透していきました。

日本では室町時代が徐々に終わりを告げて、戦国時代に突入しておきました。カオスで下剋上の世界では、家臣が主君を打ち倒すことも日常茶飯事で、親族同士の争いも絶えなかった時代です。次に「水の時代」になるのは、西暦2159年だと言われています。

今、私たちは、「風の時代」を迎えたところです。正確には、木星と土星が大接近した2020年12月22日から始まったとされていますが、今まで200年間続いてきた「土の時代」から「風の時代」の移行期であるとも言えます。「風の時代」に突入したばかりです。時代の大きな転換点に生きている私たちは、時代の大きな変化を目の当たりにすることができる限られた人間であると言えます。そして、「土の時代」の感性を引きずったままの私たちの感性は、徐々に変化を余儀なくされることになりそうです。

「風の時代」に突入した社会では、今まで当たり前だと思ってきたルールや慣習が崩壊していくことになります。2024年以降には、本格的に「風の時代」の変化が到来します。まさに新時代の幕開けです。「風の時代」には、目に見えないものを重視する人が増加すると言われています。今まで続いた「土の時代」にはタテ社会が重視されてきましたが、これから先にはヨコ社会に変化します。モノを重視した時代から精神性を重視する時代に移行します。「風の時代」は、ひとりひとりが「自由に生きること」がテーマになります。自分が自由に生きるためには、他人の自由も尊重する必要が出てきます。そのためには、今まで以上に協調性が求められるようになります。自己を表現する能力やコミュニケーション能力も求められるようになります。誰かを支配したり、支配されたりという関係性は次第に薄らぎ、自分の頭で考え行動することが求められます。誰かの真似をしたり、誰かの右へ倣いをしたりしてもうまくいかなくなります。風のように柔軟な生き方が当たり前になる時代です。

「風の時代」へ移行したことで、すでに社会的変化も訪れています。終身雇用制は崩壊し、フリーランスや副業など、自由な働き方が主流になってきました。現金は電子マネーへと移行し、ユーチューバーやインフルエンサーが台頭したように、大資本がなくても成功する例も表面化してきました。所有することに情熱を燃やしていた時代から、必要なときにだけレンタルするようなサービスも浸透してきました。

前回の「風の時代」は、今から800年前ということになります。12世紀の鎌倉時代がこれに当たります。貴族中心のタテ社会が崩壊し、横のつながりが増えた時代でした。全国の武士に土地や財産が分散し、貴族の文化や宗教や学問が庶民に広まった時代でした。1206年、チンギス・ハンがモンゴル帝国を建国しました。モンゴル帝国は、羊や山羊などを飼育しながら高原を馬で移動して暮らす遊牧民の国です。機動力の高い騎馬軍団を組織して何度も遠征を行い、アジアからヨーロッパまで広い範囲を支配しました。モンゴル帝国では交易ルートに駅を設けて「人・モノ・情報」をスムーズにしたことで、帝国の繁栄を支えたと言われています。1299年に建国されたトルコ系イスラム王朝であるオスマン帝国は、600年以上続いた超巨大国家ですが、オスマン帝国が繁栄した理由のひとつは、さまざまな民族・宗教・言語の人々が共に生き多様性に富む社会を築いたからだと考えられています。このように、「風の時代」には、コミュニケーションを活性化させて、多くの情報を取り込んでいくことが成功のカギとなりそうです。「風の時代」の特徴は、大きく2つであると言えます。それは、「個人の魅力や個性が発揮されること」と「正しさはひとつでないこと」です。

国際世界は、アメリカ1強の時代が終焉を迎え、かつての植民地だったグローバルサウスが経済力を強めています。100か国以上の国々がそれぞれにさまざまな事情を抱えているため、その政策や方針は一枚岩ではないですが、世界のGDPのシェアをどんどん高めていることも事実です。ウクライナ戦争では、西側諸国はロシアに経済制裁を加えたが、世界一の人口を誇るインドは、西側の方針とは逆にロシアからの輸入を増やしました。西側の仕掛けた経済政策は空洞化してしまいました。もはや世界は、アメリカが決めた方向に多くの国が同調する時代でなくなってきています。「風の時代」は、さまざまな考え方が共存する時代とも言えます。かつて植民地として支配された経験を持つグローバルサウスの国々は「強い力で相手を支配しようとする」考え方を嫌う傾向があります。グローバルサウスの中心的な役割を担うインドのモディ首相は、各国々の「自主性」を重んじ、互いを認め合って尊重しあうことを通じて協力し合うことでグローバルサウスをまとめようとしている方針のようです。中国の陰りも顕著になっており、世界秩序も常に変化していることがわかります。世界は常に変化していて、過去の常識がこれからも通用していくとは限りません。

特にこれから200年間の「風の時代」は、「何かが正しくて、何かが間違っている」という時代ではありません。お墓選びも人それぞれでしょう。昔ながらのお墓を継続維持するのもよいでしょう。海に散骨するのもよいでしょうし、野山に散骨するのもよいでしょう。合同散骨もよいでしょうし、手元供養もよいでしょう。墓じまいするのもよいでしょうし、仏壇じまいするのもよいでしょう。ひとりひとりが自らの責任で選択していく時代なのでしょう。


 
 
 
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東京湾の海へ海洋散骨
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