●トップページ>チャプター05:スピリチュアルの視点から見た散骨>骨に魂が宿っているわけじゃない(0146)
かの江原さんも言っていますが、そもそも、骨は物質です。遺骨に魂が宿っているわけではありません。反対意見もあるでしょう。確かに、魂が宿っていないと言い切れる明確な理由もありませんし、ごみと一緒に処分することにも抵抗があるのも確かです。それでは、人間以外の家畜の骨に魂が宿っているとお考えでしょうか?あなたはケンタッキーフライドチキンを骨まで全部食べていますか?残った骨は捨てていませんか?牛や豚の骨は粉々に砕かれて、肥料として売られています。農業でも用いられていますから、その成分は野菜になって私たちの身体に届いているわけです。人間の骨も家畜の骨も成分的には何ら変わりがありません。あなたはホームセンターで買ってきた肥料の袋を開けた瞬間に、なにかしらの魂的なエネルギーを感じたことがありますか?保健所に引き取られて殺処分された犬や猫の骨は、肥料として街路樹の肥料になっていますが、道を歩いていて、何か異様な気配や気持ち悪さを感じたことはありますか?こうやってこの世に生きた動物たちは、みんな死んだ後も自然循環のサイクルにのって、地球の一部となって、何かの役に立っているものです。2500年前のお釈迦様の遺骨は世界中で奪い合いになっているのも事実ですが、それは「うちの寺院が本物だ」という証拠を見せつけるための勢力争いに過ぎません。こうやって、お釈迦様は死んだ後の自分の骨までも利用されているわけですね。本人はどう思っているのでしょうか?きっと気にしていないのだと思いますが・・・
【葉山の谷戸へ山林散骨】
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