●トップページ>チャプター05:スピリチュアルの視点から見た散骨>散骨は魂の旅立ちを見送る弔い(0153)
「散骨」という行為は、亡くなった人の遺骨を自然の中に散りばめる弔い方です。 「遺骨はお墓に納めて、大事にしまっておくもの」という今までの常識とは異なる弔い方法です。遺骨をばらばらにしてしまうことで、魂の拠り所がなくなってしまうことで、遺族が祟られるとか、何かしらのマイナスポイントはないのでしょうか?ブッダも・・・親鸞も・・・
でも、違う視点から見れば、散骨して自然の循環の中に解き放ってあげることは、魂を循環させる旅立ちを応援してあげる行為であるとも言えます。亡くなった人の魂をいつまでも自分の所有物のようにとどめておくよりも、愛があるからこそ、その魂の旅立ちを見送ってあげる行為ができるはず。悲しいけれども、その魂のためにも、手放して、もっと大きな愛で見守ってあげることこそが、相手を思う心のあり方なのかとも思ってしまいます。
故人の魂は、きっと自分のことはさておいて、残された遺族が幸せに暮らしていくことを願ってくれているはず。なのに、現世の私たちは、そこに胡坐をかいて、いつまでもその魂を自分のそばに留めておこうとしているように感じてしまいます。
肉体は魂の器であって、形を持たない魂は、残された遺骨の中にいるわけではないはずです。肉体の一部であった骨が自然の中に還ることで、亡くなった人の魂は、現世に残した思いを断ち切って新たな循環に入ることができるはずです。ですから、散骨は、生命を循環させていく行為に他なりません。肉体を構成していたのは、間違いなく食事によるものです。哺乳類や魚や野菜など、他の命を奪って私たち人間は生きてきました。肉体は所詮は地球からの借り物だったはず。それなら、私たち人間だって、死んだ後は、それを自然の中に還していくというのは、スピリチュアル的に見ても全く理にかなった方法です。そしてその散骨という行為は地球が持続可能な惑星であり続けることにも役に立っています。
【葉山の谷戸へ山林散骨】
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