死者があの世へ行くときに渡る川が「三途の川」です。こうした川の存在は、仏教特有の考え方ではありません。ジヤイナ教やヒンドゥー教にもあり、カトリックにも煉獄と言う、三途の川に似た概念があります。
多くの仏教の宗派では、人は死後7日目に三途の川を渡るとされています。三途の川があるのは、此岸(現世)と彼岸(あの世)の境界です。あの世では、四十九日まで7日間ごとに死者の魂の行き先を決める審判がおこなわれ、十王と呼ばれる十人の王によって裁かれます。
逆に、仏教の中でも、浄土真宗では、三途の川を渡るといった考えはありません。浄土真宗では、「故人が亡くなると同時に浄土に行っている」と考えるそうです。ですから、亡くなってからの49日間の旅自体を否定しています。浄土真宗では「死は穢れではない」という考えから、清めの塩は不要をされていますし、他の宗派で必要とされる「旅支度」「枕団子」などもありません。
ですが、浄土真宗でも四十九日の法要は行うようです。・・・「不思議だなあ・・・これは単なるお金儲けなのか?」と思って、確認したところ、浄土真宗の四十九日法要は、他の宗派のように極楽浄土へ行けるよう祈るのではなく、故人様への感謝を伝えたり、仏教の大切さを再認識したりすることを目的としているのだそうです。親鸞さん賢いですね。
それでは、「四十九日を過ぎたら、三途の川を渡る」といいう教えはお釈迦さまの教えなのでしょうか?
浄土宗では、「死んだら阿弥陀如来の導きで彼岸を渡り成仏できる」と説いています。「三途の川」はもともと日本にあった民間信仰の思想であって、その考え方が後に「三途の川」と結びついたと考えているようです。
では、「彼岸・浄土・地獄」といった概念を作ったのもお釈迦さまなのでしょうか?・・・これも違うようです。お釈迦様は死後の世界のおとぎ話的なことは一切言っていないようです。日本の思想では、神話に地下にある黄泉の国と言う話があります。「彼岸」と言うのはハラミターの音訳「波羅蜜多」からきているそうです。「煩悩の激流を渡り切って彼岸に至った完成した人」という意味だそうです。法華経序品第一に「至於彼岸」と書かれています。法華経は釈迦の残した経典と言われていますが、・・・もう何がなんだかよくわかりません。「地獄」という考え方は仏教以前からあり、ヒンズー教にも六道輪廻という思想があります。 |