長いこと日本人の常識であった「お墓のあり方」が今多くの人たちを悩ませている事実をご存じでしょうか?そもそも現代人のライフスタイルに今までのお墓のあり方が合わなくなってきています。お墓は何世代にもわたって管理されてきた存在ですが、現代のように人口が減少する社会では、管理する人も当然不足するわけです。お墓が放置されてしまうのは、私たちひとりひとりの堕落でもなく、先祖を粗末に扱っているということでもないはずです。個人的なわがままでもなく、個人でなんとかできるレベルの問題でなく、大きな社会問題のひとつなのです。今、私たちひとりひとりにとって、お墓のあり方をもう一度ここで考えてみる必要があるのではないでしょうか?
今、墓じまいをして、余計な費用がかからない樹木葬に改葬する人たちが増えている背景には、こうした社会構造の変化があります。一番人気は樹木葬らしいですが、樹木葬に改葬した人たちからも悲鳴があがっているのも否めない事実です。樹木葬もいろいろなスタイルがあるのをご存じでしょうか?ます、墓石の建立費用がかからなかったとしても、管理費を払い続けなければならないような樹木葬もあります。
また、永代供養にかこつけて、多額の永代供養料を要求されるようなケースもあります。最初は樹木の根元に骨壺ごと埋葬されますが、数年後には取り出されて、合祀墓にまとめて納められてしまうような樹木葬なら、はじめから合祀墓でもよかったんじゃないか?という疑問が残ります。さらに、合祀墓に移されてそれで終わりかと言えば、そうではありません。合祀墓がいっぱいになれば、それらの遺骨は廃棄物として扱われてゴミと一緒にされて処分されることになります。
お墓のことは、やはり慎重に考えたいですし、よく考えずに行動して後になって後悔することだけ避けたいと思っています。それでは、故人とのつながりも大事にしながら、必要なときには墓参もできて、残された遺族たちにも金銭的な負担を強いることもなく、なおかつ、管理の手間もかからないような【お墓のカタチ】というものは存在しないのでしょうか?その方法は、社会的にも法律的にも認められる方法で、心情的にも納得できるようなものでなければなりません。
私は、個人的に、荒れ果てた一般墓に薄気味悪さを感じることがあるのですが、古墳のような古代のお墓には、そういった気持ち悪さを感じることがありません。昔の墳墓は、とても大きなもので、現代の一般墓とは明らかにスケール感が違います。山まるごとがお墓というようなスケール感です。もちろん、生前には大きな力を持っていた立派な方のお墓なのだとは思いますが、「この山全部、この森全部がお墓なのだ!」という感覚を想像してみたら、そこには、もう決して気持ち悪さを感じることもありません。そうして、この違いはなんなのだろう?と考えた時に、それらの違いが、人工的なものであるのか、自然の一部と感じられるものなのかという違いなのかもしれないと思いました。もちろん、私には、決して霊感など特殊な能力があるわけではありませんし、特定の宗教に加担もしていないごく普通の人間です。よくわかりませんが、自然に還してあげることで、その魂はスムーズに成仏できるのかもしれないという風にも考えました。
自然に対しては、もちろん、何かしらの畏敬の念というものもあるのですが、よく考えてみれば、自然には生もあれば死もあります。逆に言えば、多種多様な生き物たちが生死を繰り返すことで自然は息づき、躍動しているわけです。逆に言えば、死というものを非日常的なものとして特別扱いしてしまっているのは私たち現代人のほうであって、それらを忌み嫌うような感覚さえ持ってしまっています。健康志向で、拝金主義の蔓延した現代の風潮の中で、私たちが最も避けたいところにあるのが、「多額の費用のかかる死」になってしまっています。人の死は、本来、もっと日常的なものであって、それを直視せずに、避けるべき対象として感じながら私たちは生活してます。現代人のこうした感覚は一種の社会的洗脳なのかもしれないという気になって、少し調べてみました。
少し調べてみれば、一般墓というものは、江戸時代の檀家制度によるもので、それ以前は野山への散骨が一般的なものであったことを知りました。一般墓のあり方自体が、仏教の考え方なのではなく、それは当時の政治的方針に過ぎなかったこともわかりました。
私は、管理費や寄付金など、次世代にまでずーっと払い続けなければならないようなお墓を持ち続けることにまず不安を感じましたし・・・かと言って、海に投げ捨てて跡形も消えてなくなってしまうような海洋散骨にも疑問を感じてしまいます。墓参で手を合わせる場所が全くなくなってしまうのは、後になって後悔につながるのではないか?と感じてしまいますし、そもそも私たち人間はもともと海の生き物ではないのですから、土に還ることができない海への散骨はどうも気が進みません。
山をお墓にするには、まずその山自体を手に入れる必要があります。つまり、不動産を購入する必要があります。ところがどうでしょう。今は山が安く売られているではありませんか。不動産がこんなに価値を落として安くなったのは、つい最近のことです。不動産は太古の昔から価値があるものです。それなら、山を購入すればいいわけですが、個人で山を所有していても、いつかはそれが相続されたり売却されたりして、他の用途で使われてしまうことになります。それなら、森をお墓のように捉えて運営しておくプロジェクトは永遠に続くプロジェクトになります。多くの人たちがその森に眠ることでその場所はお墓としての意味を持った自然の森として残り続けることになるでしょう。そして、この【森を墓にする】というプロジェクトは、持続可能な地球の環境にもプラスの効果をもたらすはずです。人類が存続するカギは、自然との調和と持続可能なライフスタイルへの転換です。環境に対する意識と、日常生活におけるひとりひとりの選択が、未来の地球を還ることができるものであると信じています。
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