人間にも、動物たちにもお経をあげる必要などありません。お線香も要りません。ただ煙たいだけですが、お線香は死臭をごまかすための土葬時代の名残です。ペット葬儀では、お経をあげてもらう方もいます。しかし、それは、飼い主や参列者の悲しみやつらさを和らげるためでしかありません。お経をあげたから成仏できるということではありません。お経などなくたってみんなすぐに成仏します。「馬の耳に念仏」とは、いくら説いても一向に効き目のないことを意味しますが、馬にとっては、念仏(南無阿弥陀仏を唱えること)はそもそも意味のない無用なものであるということです。つまり、お経は人間側の勝手な都合であるということ。お経をあげれば成仏できるというのは、単なる思い込みにすぎないということ。ペットとして飼われている動物たちより、野生の動物たちの方が比較にならないほどたくさんいるのに、野生動物たちは、そこらへんで野垂れ死んだり、天敵に食べられてあっけなく命を失っています。野生動物も、仲間の死を悼むことがあるようですが、もちろん、仲間の死は辛いですし、いなくなった後に思い出すこともあるのかもしれません。ですが、葬式もお経もありません。仏教では、生まれ変わったら人間かもしれないし、動物かもしれないと教えているのに、どうして私たち人間だけがお経にこだわるのでしょうか?それはひょっとして洗脳の賜物なのかもしれない・・・きっと、洗脳こそが残された人を悲しみから救う方法だということなのでしょう。お経があればいいのではなく、お布施を渡せばいいのではなく、たったひとつ、心のあり方が大切だということでなのでしょう。彼らは形式的なことなど一切望んでいません。彼らの魂が望んでいるのは、心のつながりだけです。心の深さは周りには見えませんが、純粋に心をたむけることだけが必要で、その心はきっと通じるはずだと思っています。
【葉山の谷戸へ山林散骨】
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