自分の手で散骨することで、故人に対する心のこもった弔いができます。葬式をやらなくても済みます。わざわざ高額な費用を捻出して葬式をやったところで、多くの参列者は付き合いで来ていることがほとんどです。遺族がすぐそばにいなければ、だいたい違う話をしています。時には冗談を言い合って笑っていたりするものです。そんなお葬式をわざわざやる必要があるのでしょうか?確かに、故人が社会的に活躍していた場合や2世に会社を引き継ぐような場合に、葬式は社会的な意味合いを持ったり、ビジネスを継続させるために必要な手段であったりもします。ですが、一般人にとってのお葬式にはそんな目的はありません。本当に心から故人を愛おしんでくれる少人数の人が来てくれさえすれば充分です。
散骨は、骨を撒くという行為が中心ですが、骨を撒く際に、花びらを一緒に撒いてみたり、スマホでお気に入りの音楽を流してあげたり、ロウソクを灯してお経を流してあげたりすることだってできます。昼に散骨するのか、夜に散骨するのかによっても、その弔い方は大きく印象が違います。木漏れ日の森の中でおごそかに散骨したり、満月の夜に月明りの中で散骨したり、そんな手作りの弔い方には、ほとんど費用がかかりません。
故人も、遺族に経済的な負担を強いてまで大々的な葬式をあげてほしいと望んでいるのでしょうか?自分スタイルの弔い方で、故人を愛おしみ、感謝をして、自然の中に戻してあげて、「次は夢で逢おうね。」と心の声を伝えてあげること。精一杯のできることを弔いのタイミングでぜひやってがてください。そんなあなたの心はきっと故人にも伝わるのだと思います。故人と自分との関係の中で、いろいろなことがあったかもしれません。楽しかった記憶だけではないのかもしれません。ですが、それも今となっては懐かしい思い出だと思えるようになれれば、最高ですね。散骨は心のこもった弔いです。自分の手で散骨してあげることさえできれば、故人もきっと浮かばれることでしょう。
【葉山の谷戸へ山林散骨】
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